《2026年6月14日説教要旨》 

 

 

聖  書  ガラテヤの信徒への手紙 3章23節~4章7節 2026年6月14日

説教題  「神の相続人」

 

 ガラテヤ書が書かれた背景は、パウロの伝道の後にやってきたユダヤ人キリスト者によって、信徒たちの心が惑わされてしまい、真実の福音から離れそうになっている状況を知ったパウロが、ガラテヤの教会の信徒を本物のキリスト者に導く目的で書かれた書簡です。この書の執筆の時期は、第3回の伝道旅行中にエフェソに滞在した折に書かれたと考えられていますので、紀元53年頃に書かれたという説が有力ではないかと思われます。恐らくは、テサロニケの信徒への手紙に続く古い書簡だろうと考えられています。

今日の聖書箇所の前までにパウロは、神が何の訳で律法を与えたのかを説きます。律法はユダヤ人に、約束されていたあの子孫が来る時まで、人々を義とするために与えられたと書かれています。ユダヤの人々は、その語られるように、律法の中に閉じ込められていたのです。つまり、旧約の世界では、ユダヤの民が、律法の一点一画をも忠実に守ることが義務付けられていたということを示しています。そんな律法を通し、キリストの出現に依り人々は信仰へと導かれることになるのですが、その過程における養育者となった経緯を教えております。

 ここにある「養育者」という言葉は、ギリシア語では“パイダーゴーゴス”と言いますが、この言葉の本来の意味は、「年少者を一定の年齢になるまで付き添い、監督する人」を表すものでした。そういった養育者に導かれた信仰者たちは、キリストを着ていて、神の子となったのでした。彼らは、こうして解放されて、自由を得て身分の差がなくなり、キリストにおいて一つとされました。そんな彼らは、キリストによって導かれた神の相続人である。そのような主張、 今日の聖書が主張することの概要は、以上に述べたようなものであります。続いて、更にこの書を詳しく読んで参りたく思います。

 今日の説教題は、「神の相続人」としましたが、一般的に言って、「相続」なる言葉を考える時に私たちは、良いことも考えるのかも知れませんが、個人的に言えば相続税や遺産相続争いなどのマイナス・イメージを浮かべてしまいます。でも、今日のみ言葉が示している「相続人」というのは、今の世に於ける「相続」のイメージと同じ種類の物なのでしょうか? 今日は先ず、そのことを皆さんと一緒に考えて見ようかと思います。

 本日の聖書箇所の3章29節から4章2節の辺りを読んでみますと、相続人に関する事柄が書かれています。その中に、「約束による相続人」という表現があります。これは、神の約束によって福音を受け入れた人々は、相続人であるということを意味します。相続するものが何かと言えば、4章5節の後半にあるように「神の子となる」ということからして、「子としての身分をいただく」ということになります。この世の掟(法律)では、受け継ぐ権利を持つ人の数というものが決められています。ところが、神の子となる権利には、人数の制限などはありません。同様に、子どもの人数が多いと財産分与によって配当が減ってしまうというようなこともないのです。神様の祝福に与り、子としての立場を受け入れた、全ての人たちに、神の子としての身分が与えられます。そのようにして、全ての人が同じものを相続することができるのです。実際には、神の子は主イエスただお一人です。ですからこの世的に言えば、私たちは「神の養子」の身分に与るということになるでしょう。ここで言う、「神の養子となる」ということには、二つの意味が含まれます。

 その第1が、「養子」の身分をもらうことは、「『実子』と全く同じ権利が与えられる」ということを意味します。私たちは、神の救いに与る前は罪の道を歩んでいました。今でも、罪を犯してしまっていると言う事が出来るでしょう。そんな私たちは、とても「神の子」とされるような資格がないにも関わらず、神は私たちを、ご自身の子とみなして下さった。これこそが、正に養子縁組の関係と言えます。神は法的に私たちを子として下さっています。それは、御自身が決められた契約に基づく「法」に基づきます。神との約束に基づいて、養子として、神との契約が結ばれているということです。この事実を受け止める時、実子と同じ権利が与えられて、確かに神の子になったと知ることができるのです。私たちクリスチャンは神の家族であって、父なる神と子なるイエス・キリストとも確かに約束の基づく家族となるのです。

 その第2は、私たちは神の「養子」となるのであって、「『実子』なるわけではありません」。実子になれるのは、イエス・キリストただお一人です。この世の法律に於ける養子縁組を考えるなら、それには次のような二通りが考えられるかと思われます。《普通養子縁組》と《特別養子縁組》の2つです。普通養子縁組というのは、当事者同士の合意の下で自由に行うことができ、また同時に実際の血縁関係の親子関係もそのままとなり、二重の親子関係が存在します。これは現在の民法では、第792条~817条で示される「養子縁組」の規定によるものです。これに対する「特別養子縁組」というのは、当事者同士が決めるものでなくて、裁判所による決定が必要となります。民法では、817条の2~11の規定が相当します。これによりますと、特別養子縁組に於いては、実際の親子関係は断ち切られ、戸籍上も養子ではなく実子として記載されます。

 聖書の教えに依れば、私たちと神との親子関係は普通養子縁組です。この世において実際の親子関係が存在しつつ、霊的関係においては、父なる神が与えられます。もしこれが神の「実子」となる特別養子縁組であるならば、この世においての親子関係は解消され、神の本当の子どもとなるということになります。

 第1の意味で述べた養子縁組における話のように、「実子」と同じ権利が特別養子縁組であるならば、私たちはイエス・キリストと同じになる。すなわち、私たち自身が神となることを意味してしまいます。私たちは神の家族ではあります。しかし、家族であっても、私たちは、父なる神、子なる神、聖霊なる神とは、決定的な違いがあることを忘れてはならないのであります。

 このように、私たちは神の「養子」となり、神の相続人として認められたことを学びました。「相続人」なる言葉、ギリシア語原語では“クレーロノモス”と言います。この言葉は、“クレーロ”という「①くじに当たる。②くじによって決められる。③選ばれる。」という意味の単語と、“ノモス”なる「法律、掟、規定」を」意味する単語の、2つを合成した言葉です。ですから、2つを繋げると、「法律によって定められた人」という意味になります。これにより、「相続人」と訳されることになります。この相続人は、《キリストを着ている者》であるとされます。つまり、キリストに組み込まれたものであり、神とキリストとのペルソナ(パーソナリティー)的な関係に似る者であるとされるのです。

 それでは、私たちが、神の子として、相続人になることによって、いったい何を受け取ることができるのでしょうか?一言で言うならば、それは「神の国」であると言えましょう。この世においては、その一部を、「キリストの体なる教会」として受けとっていますが、それは決して神の国そのものではありません。神の国そのものと考えてしまうと「何故、不完全なのだ!争いがあるのだ!」と思ってしまい、この世的な教会など要らないと考えて、無教会主義的な考えに陥ったりします。また、あるいは、この世の教会すべてを神の国のように一つのつながった統一されたもの、と考えてしまったりします。しかし、私たちが現実に神の国を受け継ぐのはずっと後のことでありましょう。私たちは、すでに神の子とはされています。しかし、この世において親の財産を子が受け継ぐのに時があるように、私たちが神の国を相続するまでは、時間というものが存在します。いつの日かその時が来ることを待ち望みつつ、希望と喜びをもって、信仰の道を歩んで行きたいと願うものでございます。

 私たちキリスト者は、神の国を受け継ぐ(相続する)群れであり、主の教会を受け継いで行く責任を持つ群れであります。その事を常に心に留めつつ、主が示された道をひたすら歩んで参りたく思います。

 それでは、ひと言、お祈りをお献げ致しましょう。 アーメン