《2026年2月22日の説教要旨》

聖書箇所 ルカによる福音書61―11     20262月22日

題:「安息日ってなに?」

 

本日のメッセージの確認事項として、旧約聖書には律法の書として分類されるものが5つあることをお伝えしておきたいと思います。

その書名は、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記という5つの律法の書として分類される書物に関することなのですが、読み上げた5書の中で、出エジプト記と申命記には「十戒」というタイトル名が付されている章が存在します。その章には皆様良くご承知の通り、10か条に及ぶ神様の戒律というものが書かれています。その4番目の戒律が、今日のタイトルに定めた安息日に関する規定です。皆様良くご承知とは思いますが、この「安息日」という言葉は、「あんそくにち」、とも「あんそくじつ」とも読まれます。どちらでも皆さんが好まれる読み方でお読み頂ければ宜しいかと思います。

その安息日は、旧約の言語であるヘブル語の場合に「シャバット」と呼ばれます。英語ではSabbathサバス”,イタリア語はSabatoサバト”,フランス語はSabatサバトとなりますが、それぞれ良く似た呼び方をしています。それぞれに、この言葉は現代語では土曜日を表わしているものです。つまり、安息日は土曜日を意味する”Suturday”の原型でもありますので、元々、ユダヤでは土曜日が安息日だったことが推察出来ると思います。

 現代では、安息日に相当する休日になっているのは、主日である日曜日なのですが、これはキリストが復活された日である日曜日を主の日と呼ぶようになったことから、西方教会では、次第に時代を下るに連れて主日(日曜日)を安息日とするようになったことが知られています。

因みに、同じキリスト教の1派である正教会という教派の東方教会の場合には、未だに土曜日を安息日に定めております。更に、プロテスタントの教派の場合にも、セブンスデイ・アドベンチスト教会とか、セブンスデイ・バプテスト教団のように土曜日に礼拝をしている教派もあることが知られております。正に、キリスト教も様々と言ったところであろうかと思います。

ここから少々蛇足の情報をお伝えしますが、ネットで調べた関連情報をお伝えして置きたいと思います。

日本の場合、日曜日に関する概念は、9世紀の初め頃に、私たちも名前を知らされている「空海」というお坊さんが唐から持ち帰ったものと言われます。その当時、藤原時代には真言宗の密教行事だけだったのではなく、広く貴族の間で定められていたと書かれていました。 日曜日に関係しての鎌倉時代の史料として、承元四年(1210年)並びに正和四年(1315年)の具注暦(ぐちゅうれき)の実物が現在も、京都大学宇宙物理学教室に残っているようです。因みに、いま取り上げた具注暦と言うのは、日本の朝廷の陰陽寮(おんようりょう、おんようのつかさ)という政治機関が作成し頒布していた公式の暦だそうです。この暦には、吉凶判断のための多種多様な暦注が詳細に記載されており、その全てが漢字を使って書かれています。更にこの具注暦という暦は、上段に日付とか干支えとについての情報、中段には、テレビの天気予報に出てくる二十四にじゅうし節気せつき立春りっしゅん啓蟄けいちつなど)の情報、下段にその他の暦注れきちゅう(暦の中に書かれている注釈)が記載される形式で作られています。全体として通常は、半年分を一巻として作成されております。

歴史上最古の具注暦ぐれきちゅうというこの暦は、正倉院に収められたのは天平18年(746年)の暦であります。

具注暦は、奈良時代から江戸時代までという広い年代で使用されていて、次第に時代を下るに連れて、特に平安時代の貴族たちに愛用されていたけれども、明治になって国の指定で西洋歴に改暦されたことで廃絶されたという事です。

 

さて、安息日に関連する蛇足の説明はこの位にしまして、旧約聖書の出エジプト20811節に書かれている安息日の規定の方を少し読んでおきたい思います(旧約126ページ20:8~11を読みます)。
 ここには、安息日には仕事をしないで、安息日を聖なる日とするようにという事が命じられています。安息日を守るということは、ユダヤ人の宗教生活にとって生命線と言えるものだったのですね。しかし、そのような考え方を持つファリサイ人と、主イエスと間に論争が起こったことが、今日のルカ福音書6章1節以降に書かれています。次の内容です。
 「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べていた。」(ルカ61

ここに見られるように、安息日に弟子たちは、麦の穂を摘み、手で揉んで食べたという行動が、ファリサイ人の目に留まったという事です。そして、弟子たちの行いを見たファリサイ人が、続く2節で主イエスに問い詰めたとされます。

「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのか。」(ルカ6:2)
 そんな問いを発したファリサイ人は、律法を日常生活の細かいところまで適用(実行する)しようと努めた存在でした。彼らの多くはまじめで清い人たちだったことが知られています。その中には、偽善的な生活を送る人たちもいましたが、伝統的な保守的考えを持つファリサイ人は律法の教えに従って、キリストの弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べたことを律法に違反しているとして、イエスの弟子たちを糾弾したのでした。
 彼らの問いに対して主イエスは、34節の言葉を使ってダビデ王の例を挙げ、規則より愛や必要性という事がもっと大切であると答えました。このイエスの答えは、旧約のサムエル記上2136節に記されている内容でした。ここには、ダビデ王も祭司以外は食べてならない供え物のパンを食べ、他の人々に与えたことが例に挙げられていて、律法よりも大切なことがあることが示されています。そして、その旧約の教えに加えて、イエス・キリストはご自身が安息日の主であって、律法に縛られるお方ではない、という事をここで語ります。6章5節です。

「人の子は、安息日の主です。」(ルカ6:5)

この言葉とは、つまり、人の子キリストは、安息日の主なのだから、安息日に関する律法に縛られる必要はないという宣言です。それに続いてイエスは、別の安息日の時にも、ファリサイ派の人が問題にする行動をしています。それが安息日に行ったいやしの行為でした。6章6節から、「ほかの安息日に、イエスは会堂にはいって教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。」と書かれているように、別の安息日にイエス様が会堂に入っておられると、そこに手の悪い人がいました。ここではどんな病気であったのかは分かりませんが、そこでは、律法学者とファリサイ人が、イエス様がその人を直すかどうかをじっと観察していたのです。7節に書かれています。

「律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気を癒すかどうか、注目していた」。(ルカ7:7)

律法学者やファリサイ人の中には、安息日に病気を直すことさえもが労働だと考えて、その行為が律法に反するものと解釈する人たちもいたのです。彼らは、イエスが安息日の規定を犯している。律法に違反している、と解釈することによって、主イエスを非難しようと口実を探していたのです。
 これに対して、主イエスはどのような態度を取られたのでしょうか。8節に、

「イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、『立って、真中に出なさい。』と言われた。その人は、身を起こして立った。」(7:8)

とあります。主は、律法学者、ファリサイ人の心を知り抜いていました。その上で、手の萎えた人を真ん中に立たせました。そして、とても大切な質問をされたのです。次の9節のイエスの質問は、「律法が大切ですか、それとも愛することが大切ですか。律法と人の命とどちらが大切ですか。」ということなのです。ファリサイ人たちの態度は、本末転倒になっていたのです。本当に大切な人を愛することが失われて、規則、律法を守る事が中心になっていました。主イエスの鋭い質問に対して、彼らはどのような顔をしたのでしょうか。それについて書かれていないので知ることは出来ませんが、主は一同を見回し、人々の見ている前で、「手を伸ばしなさい。」と言われて、手の病気の癒やしの行為をされたのでした。
 こうして、11節に、「彼らは怒り狂って、イエスをどうしてやろうかと話し合った」。

と書かれているように、イエス様の行いを目撃した律法学者とファリサイ人は困惑してしまい、もはや理性的に考えることが出来なくなってしまったのです。主イエスは、彼らが批判的な思いを持ってご自分を観察していることを知り、言葉だけでなく行動によって彼らの悪意や批判を退けたのでありました。


 さて、これまで読んできました出来事から、私たちは何を学ぶことが出来るんでしょうか?

今日は、「安息日」をテーマにメッセージをお伝えしているのですが、先ほどお伝えした「安息日」という規定は、一体何をする日だと教えていますか?
 律法学者やファリサイ人は、この教えを極端に理解しました。そして、安息日には絶対に働いてはいけないということで、麦の穂を摘むことが刈り入れに当たる。麦の穂を揉んで、もみ殻を取ることは、脱穀に当たる。つまり、これらの行為を労働と考えて、主イエスの弟子たちを批判したのでした。


 皆さんは、彼らの考え方のどこがおかしいとお考えでしょうか。それは、彼らが律法の言葉尻だけを捉え、律法の精神を忘れてしまっているという部分です。律法は、何のためにあるのか、神様は、どうして私たちに律法を与えて下さったのか、これが重要です。律法は私たちのために存在します。私たちが幸せな生涯を歩むために、神様が与えて下さったものです。同様に安息日も、私たちのために神様が与えて下さったものです。この安息日は、何のために神様が備えて下さったのかを考える時、それは字を見れば分かります。安息日とは、「安息する日」と書きます。「安らかに息をする日」という意味です。それならば、どうすれば私たちは真実の安息を得ることができるでしょうか。申すまでもなく私たちを造られ、命をお与え下さった創造主の前に静まる時です。単に肉体を休ませるだけではなく、創造主を賛美し、創造主のみことばを聞き、創造主に祈り、礼拝することによってです。これが、わたしたちにとって必要なことである。聖書は、そのように教えているのでございます。

 

今日の聖書の教えによれば、律法学者やファリサイ人が犯した過ちには、2つの事があります。一つは、聖書の言葉尻だけを捉え神様の御心を悟らなかったことです。もう一つは、自分の行いによって神様の賞賛を得ようとしたことです。これは「功績主義」と言う事が出来るでしょう。律法の精神を守ろうとしたのではなく、自分の「功績」を神様に認めてもらおうとしたこと。これが「律法主義」というものです。

神様が私たちのために備えて下さった安息日のおきてと同様に、他の律法も同じ意義や目的を持つものであります。これらの全ては私たちが幸せに豊かに生きるために、神様が与えて下さったものです。

冒頭で言及した「十戒」には、「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。あなたの父と母を敬え。安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」と書かれています。これら全ての教えは、私たちを不自由にするための教えではなくて、私たちが幸せに生きることができるように、神様がお与え下さったルールです。 私たちの人生を責任を持って導いて下さる神様が、聖書というルールを与えて下さったから、それに従って私たちは安心して生きることが出来るという事です。神様は、私たちが幸せに生きることができるよう、聖書を与えて下さり、そして安息日を定めて下さったのであります。私たちはその教えを、ファリサイ派の人々や律法学者たちのように消極的に捉えるのではなく、積極的に捉えていきたいと思います。


 今日のお話の最後に、皆さんに質問したいと思います。皆さんは、ご自身の安息日の過ごし方について真剣に考えたことがありますか? 安息日に豊かに礼拝を守る。それと同時に、家族一緒に充実したときを過ごす、或いは普段は持つ事が出来ない自由な時間を持つ。そのような過ごし方も考えられるかと存じます。

そのような考え方に加えて、神様が私たちのために備えて下さった安息日を、ただ自分勝手に使うだけではなく、主を喜び、主に喜ばれる、私たちにとって正に「神の恵みをいただく日」。そのようにして豊かな安息日をお過ごしになることを願うものでございます。

それでは一言お祈りをお捧げ致しましょう。 アーメン 

《2026年3月1日の説教要旨》

 

聖書箇所 ルカによる福音書 5章12節~16節  202..

説教題  「きよめの物語」

本日示されたルカ福音書5章12節からは、「重い皮膚病を患っている人をいやす」とタイトルが付されたお話が書かれています。ここに示された内容とは、主イエスが手を差し伸べてその人の体に触れて「清くなれ」と言われたら、たちまち清くなったという奇跡の物語でございます。
 ルカ福音書には、この人は全身が重い皮膚病にかかっていたとあります。聖書の時代には、このような皮膚病には強い伝染力があると考えられました。ですから感染を防ぐために、病者は人里離れた場所に住むことを余儀なくされていました。その上に、近づいて来る人に対して、自ら「私は汚れています」と叫ばなければならなかったそうです。従って、病を負っている人が町にいて、イエス様に救いを求めるという行為は、当時のこのような掟に反する事になります。ところが、そんな人にイエス様も律法違反になる事を承知で答えられたのです。主が手を伸ばして、自らが病を負っている人に触れられました。この記事には、律法という垣根を乗り越えて神の愛に生きる主イエスの姿が描かれております。

 今日の重い皮膚病から連想される事として、皆様もよくご存じと思いますが、国連連合)という世界組織の中にWHO(世界保健機構)という国際機関がございます。私の生まれた年と同じ1948年に設立されたものだそうで、スイスのジュネーブに本部がありますが、日本には事務所が置かれておらず、京都に研究組織があるだけのようです。この組織では、「健康」ということの定義を、肉体的・精神的・そして社会的に「良い状態」にあることであると定めています。肉体的には強くても心に元気がなかったり、あるいは社会から孤立している状態にあるならば、そのような人には健やかさになるための癒しや助けが必要なのであります。この男性も、もちろん皮膚病という肉体的健康の問題は抱えていましたが、それ以上に、「汚れ」による社会との断絶という、精神的な病いの状態に置かれていました。彼自身が一番そのことに気付き、不安と苦悩を抱えていたことでしょう。今日の聖書をもう一度お読みいただきたいのですが、12節における主イエスに対する彼の言葉は、「癒して下さい」ではなく「清めて下さい」と叫んでいます。<<清めて下さい、皆と私の間にある壁を取り除き、皆と一緒に笑ったり泣いたり食べたり飲んだりできるように、私はなりたいのです>>。これが彼の望みでした。12節の「御心ならば」と、13節の「よろしい」には、原文では同じギリシャ語のテロー(望む)という言葉が使われています。この男性が抱えていたのは、からだの病もさることながら、それ以上に、社会的な病であり、それはこの男性ではなく、彼を取り巻く社会こそが抱えている病、彼が清いものであることを周囲が望むか否か、認めるか否か、ということに起因する問題であったのです。

私は、この種の病がかつて不治の伝染病として恐れられていた歴史について、過去に学校で学んだり、関連する医学関係の本を読んだりして、一応の理解を持っていたつもりでした。その病いは肺結核や天然痘のように、現代では人々の記憶から忘れ去られてしまった遠い過去の出来事として捉えているように考えます。その程度の理解しか持たなかった私が、神学校に入学して2年目の年でしたが、夏休みの間の体験授業として行われた夏季伝道実習に奄美大島に行ったときに初めて、以前その患者だったという方にお会いする機会を頂きました。それは奄美の名瀬教会という名のキリスト教の伝道所に於ける体験でしたが、その伝道所の建物は、かつて「らい病」として恐れられた病いを隔離するための「奄美和光園」という名の施設にありました。

この病気を、新しい版の新共同訳聖書では「重い皮膚病」と訳しておりますが、少し前の口語訳聖書には「らい病」と訳されています。ご承知のように現在はハンセン病と呼ばれているこの病気の原因はらい菌です。その原因菌を発見した人の名前をとって正式にはハンセン病と呼ばれています。なぜこのような言い換えが行われたのかと言えば、それは、「らい」という言葉が、長い間、差別的な意味を込めて使われ続けてきた言葉だからです。私たちは不治の病として同じように恐れられた天然痘に関する知識を持っていますが、この病の原因は天然痘ウィルスが媒介するものであり、ハンセン病はらい菌という細菌によるものであることが違っています。また、天然痘が伝染力の強い病であるのに比べて、ハンセン病の伝染力は強いものではありません。

かつて「らい病」と呼ばれた病(ハンセン病)は、昔から治療が難しい病気であり、感染力が強くて、容易に遺伝すると考えられてきました。私が訪れた伝道所の内部の作りも、そのことを裏付けるように、説教者と信徒とが直接接しないように、一定の距離を置いて対面するような構造をしていました。しかし、20世紀に入ると、これらの常識がことごとく間違いであることが分かってきました。遺伝はしないし、感染力も弱く、もし感染したとしても発病しないケースも多くあることが分かりました。そして、ついに、1941年になって、アメリカでプロミンという特効薬が開発されるに至り、ハンセン病は完全に治ることが証明されました。ところが、日本では古い誤った常識が塗り替えられることなく、「らい」患者たちはまるで犯罪人であるかのように、施設に隔離収容され、遺伝や感染を恐れた親戚から名前を変えることを望まれ、断種手術を強制的にさせられ、子どもを生む自由、生きる希望をも奪われ続けたのです。

このように、患者の強制隔離を定めた法律が、1907年(明治40年)に施行された「らい予防法」であります。この法律が廃止されたのは、1980年に天然痘廃絶宣言が出された後の1996年(平成8年)で、施工後に既に89年を経ていました。現代から遡る事、僅か30年ほど前のことだったのです。この事実が広く報道されたことをご記憶の方も、今日お集りの方の中にもおられるかと思います。

強制隔離が続いた原因は、私たち皆の無知・無関心にあります。ハンセン病にかかった人々の、人間関係、社会的存在、心。そのようなものが、ずたずたに踏みにじられ引き裂かれていく一方で、私たちは無知・無関心という病にかかり続けて来たのではないでしょうか。これと同じことは、現代の若者の間に蔓延しつつある政治・社会的無関心の蔓延に見られるような思いが、私は感じてなりません。

私が神学校在学中4年目(2009年)に、かつて奄美でお会いしたハンセン病の元患者は、夏季伝道実習で訪問した和光伝道所の元牧師という立場のお方でした。元患者だったことは、顔の表面が崩れ、指先が欠けていることで、一目見たときにはっきりと認識できました。牧師のお連れ合いも元ハンセン病の患者であったと聞きましたが、お連れ合いの場合には外見からは元患者とは思えず、牧師のお話によると、病原菌の種類が異なるから現れる症状が異なっているということでした。

私が卒業した神学校では、代々の学生が夏季伝道実習の期間に奄美を訪れて、この施設に行って実習体験することが、神学校の伝統として当たり前のように考えられていました。ですから、私も先輩たちに倣って勧められるままに、元隔離施設であった伝道所を訪問したのでした。しかし、この牧師夫妻とお会いして、昔の歴史をお聞きする中で、ハンセン病に関する詳しい知識も持たないまま、何ともノー天気な気持ちで奄美伝道に来てしまったことに、後悔の念を禁じえませんでした。しかし、牧師ご夫妻は、私たちのような訪問者の多くが、そのように知識も認識も持たない人間であることも全て承知の上で、神学生を受け入れてくださいました。真に感謝に堪えないことであります。

牧師は次のように話されたのです。

「私たちは、この忌まわしい病のために、過去に多くの人から言われなき差別を受けてきた。しかし、その差別も治ってしまえば遠い昔の思い出となる。だが、あなたたちのように民族差別を受けたものは、一生その傷を背負って生きて行かねばならないだろう。だから、私たち以上に、あなたが受けた傷は深いものだろう。」

元ハンセン病の患者だったことが明らかな人の口から発せられた、哀れみに満ちた言葉に、私は唖然とさせられました。ご本人こそ、過去の労苦をねぎらってもらうべき方が、他者をいたわって下さる。そんな思いを持ちながら、その牧師の温かい言葉を心からの感謝を持って受け留め、深い感動を覚えたことを、今も忘れることは出来ません。

 

病んでいるのは、今日の聖書に出てきた<<重い皮膚病>>を負った人だけではなく、私たちも、私たちの社会も皆、病んできたし、今も尚、病んでいるのです。「主よ、きよめて下さい。」と叫ばなければならないのは私たち一人一人なのであります。
 その私たちに、主イエスは、手を差し伸べ、触れ、そして、言われます。「私はあなたが清いものであることを望みます。あなたが清いものであることを認めます。」そのように言われます。主よ、清めて下さいと叫ぶとき、あなたはすでに清いのです。そして、主イエスは、今度は私たちが誰かに対して、隔てを越え、常識を越え、手を差し伸べ、触れることを、「私は望む」といっておられるのではないでしょうか。
 私たちには誰かの病気を治す超能力のような力はないかも知れません。しかし、誰かの存在を癒すための力は、与えられているのです。私たちは、誰かが清いということを、社会的に認めさせる影響力はないかもしれません。しかし、私にとってその人は清い、と受け入れる力を持っています。あなたにしかできない癒し、あなたにしかできない清めを待っている人がいます。「私はあなたが清められることを望む、あなたが清いものであると心から認める」。このような主のメッセージをこの身に携え、この会堂から出て行く者であることを願っております。

祈りましょう。 アーメン